約3000人が犠牲になったアメリカの同時多発テロ事件から5年が経った。
9・11から5年、米大統領夫妻が献花
【ニューヨーク=大塚隆一】約3000人が犠牲になった米同時テロから丸5年を翌日に控えた10日、全米各地で追悼の行事が始まった。
2749人が命を落としたニューヨークの世界貿易センタービル跡地「グラウンド・ゼロ」にはブッシュ大統領夫妻が訪れ、犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。
大統領夫妻はニューヨークのパタキ州知事、ブルームバーグ市長、救援活動を陣頭指揮したジュリアーニ前市長とともにグラウンド・ゼロを訪れ、国際テロ組織アル・カーイダによる乗っ取り機激突で崩落した北棟と南棟の跡地に造られた池にそれぞれ花輪をささげた。夫妻はこの後、跡地に隣接する教会での追悼式典に参列した。
大統領は「私はあの日の教訓を決して忘れないと誓う。同様の損害を与えようとしている敵がまだいる」と強調。9月11日を「決意を新たにする日」と呼び、対テロ戦争への支持を改めて求めた。
一方、教会の近くではブッシュ政権のイラク政策などに反対する数十人が「ブッシュを逮捕しろ」「米軍は撤退しろ」と気勢を上げるなど、同時テロ直後には見られなかった世論の亀裂もあらわになった。
丸5年当日の11日には、グラウンド・ゼロで犠牲者遺族が参列して最大の追悼式典が行われる。式典は乗っ取り機が北棟に激突した午前8時46分(日本時間同日午後9時46分)に開始。犠牲者の名前の読み上げと献花が約3時間続けられる。
一方、大統領は同日、ニューヨークで別の行事に出席後、4機目の乗っ取り機が墜落したペンシルベニア州シャンクスビルと別の乗っ取り機が激突したワシントン郊外の国防総省の追悼式典に参列。夜にはホワイトハウス執務室から国民向けテレビ演説を行う。
(2006年9月11日12時15分 読売新聞)
3000人の尊い命に花を手向ける行為。一見美しい行為に思えるかもしれない。だが、私たちが忘れてはならないことは、「テロとの戦い」と称する大量殺戮が5年間もこの地球上で繰り広げられたということだ。
9・11に端を発するこの「対テロ戦争」で、圧倒的な武力を持った「連合軍」が、アフガニスタンやイラクで何をしてきたのかから目を逸らしてはならない。
アフガニスタン侵攻は、「無限の正義作戦(Operation Infinite Justice)」とされ、後に、「不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)」と改められた。
この虐殺での死亡者数は、民間人だけでも、4000人(これはかなり少なく見積もられた数字のようだ)。
アフガニスタン国際戦犯民衆法廷 起訴状
2001年10月7日から米軍が開始したアフガニスタン各地への空爆により、米軍は、非戦闘員すなわち一般住民に多大な被害を発生させた。マーク・ヘロルド米ニューハンプシャー大学教授は、空爆による民間人犠牲者数を、攻撃時間と場所を特定しながら調査した報告書を公表した。
集計方法は、2001年10月7日から2002年3月までにわたる期間中、新聞をはじめ様々な報道機関によって公式に発表された死亡者数だけを、重複計算を避けて集計したものであり、2001年12月23日の1回目の報告では、「10月7日から12月6日までの空爆による一般市民の犠牲者は少なくとも3767人に上っている」とし、2002年1月6日の2回目の報告で、「空爆開始から12月29日までの空爆での、アフガニスタン民間人の犠牲者数は4000人前後」としている。
しかし実際には、それら犠牲者のほとんどは空爆開始から2001年12月10日までの9週間に集中していること、米軍がメディアの従軍を許さない中にあって報道機関の知るところとなった死者数の統計に過ぎないことから、現実には、この数字をはるかに超える人命の被害が発生していることは疑いがない。
さらに、捕虜の虐待や虐殺も数百人という。アフガニスタンでの虐殺の被害者たちは、未だに人数すらわからないような状態である。これが正義の戦争の実態である。ザルカウイ傀儡政権を維持するために2万人の兵士をアフガニスタンに駐留させている(因みに日本には約4万5千人程度の米兵がいる。アフガニスタンより多くの兵力を置いて傀儡政権を維持しているといったところだろうか)。
イラクでは最小に見積もっても4万1千人最大で4万6千人の命が奪われつづけている(死亡者数はIraq body countより)。
「人命は地球より重たい」と言ったのは、ダッカ事件での自民党の福田赳夫首相だった(人命の前にアメリカがついていたという評判もある)が、今では、人質になった人々を心配する家族に罵声が浴びせられる。死んでしまった香田さんは、危ない場所に物見遊山で行った愚か者だから死んで当然と、叩かれる。
9・11同時多発テロ後のこの国は、かくも思いやりも寛容さも亡くした「品格溢れる美しい国」になった。
これが日本の伝統を取り戻した姿であるのならば、そんな伝統は唾棄すべきとしか思えない。
皇室にひさしぶりに男児が生まれた件について素朴な疑問を書いた乙武洋匡氏のブログが、炎上し、話題となっている。
めでたいと思っていようがいまいが、それは本人の自由だ。私も彼と同様に、子供が無事生まれたことは、良いことと思っているが、それに対して「正しい」反応を全ての人が判を押したように「しなければならない」と押し付ける態度には気持ちの悪さを覚える。
ハンカチ王子だろうがタマちゃんだろうが、メディアが無批判に垂れ流す「めでたい」「かわいい」に反発を覚えるのは至極まっとうだと思う。男女の性別やどこそこの生まれで、差別してはいけませんというタテマエを、「視聴率=カネ」の脊髄反射でかなぐり捨てて大量報道し、鼻息荒く「善意」を押し付けてくるマスメディアや匿名の大衆というものは、顔の無い気持ちの悪い存在でしかない。今回の件は数の力で「めでたい」を強要する精神的な暴力そのものだと思う。
行儀の悪い礼儀知らずな人々のがなりたてる「良識」など○○くらえだ。
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