Fragment
世の中の環境に負けないくらい私的な環境が激動し、もやもやと言葉で切り取りきれない何かを感じていた。「記憶の断片」として何かを感じた場面を切り取り始めた。その数日後、「Fragment(断片)」という題名の映画のポスターを発見した。奇妙な符合に同時代の繋がりを感じて、この映画は是非観ておきたいと思っていた。
10月1日(日)雨天。渋谷アクティブXに鑑賞に行く。アクティブXは、ほんとうに小さな劇場。定員が40人ということで、あっというまに満席になる。
冒頭、監督の佐々木誠が「ドキュメンタリーって、ある意味フィクションっていうか作り手が、BGMやナレーションをつけて、結論付けてあげるみたいなことが違うと感じて作りました。これはドキュメンタリーではなく記録映画です」と言ったとおり、そこに作られたドラマは無い。BGM無し、ナレーションも無しのソリッドな映画だった。
井上実直というタレントのことも日蓮正宗がどのような教義であるかも何もかも知らない私が、彼の行動の目撃者となった。
井上は、一人の普通の若者として9・11の跡地グランドゼロを眼前にし、「平和」を強く意識し、心から祈りを捧げたいという気持ちに突き動かされ、祈りを捧げる人として目覚め100日間に及ぶ荒行に入り、再びグランド・ゼロに立ち祈祷をあげる。一心不乱にさらに、パールハーバーでも祈祷する。
彼のただ平和のために、犠牲となった人々の冥福を祈りたい。それだけのために、命がけの荒行に及んだ。その背景は、語られてはいない。ただ、饒舌ではない彼の「僧侶」としての表現が「題目」であるとするのならば、命がけの荒行に臨む必然性は無い。「修法師」となるためには、100日間ただひたすらに題目を唱え、粥をすすり、睡眠を制限し、冷水を浴びる。精神と肉体を人為的に極限まで追い込み、臨死する。蝉のような「題目」の喧騒の中、極限の状態で恍惚とした宗教的体験を経て「生まれかわった」姿で、グランド・ゼロに立ち、魔を祓う。
彼に「お前何している?こんなふうになって喜んでいるのか?」冷たい言葉が浴びせられる。彼は英語がわからず、通訳はそれを訳さない。その冷たい言葉と彼は向き合ったのだろうか。
彼は切実に祈りを捧げたいと思った。その切実さだけをフィルムが切り取っていく。そこから何を読み取るのかについては、目撃者に完全に委ねられている。
9・11以降の世界で、あの惨劇の目撃者となったわたしたちは、それぞれ切実に、何かを祈り、考え、言葉で切り取り、または忘却し、生きてきたのだ。
ただ、そのままにはしておけないと心の片隅にひっかかる断片を引き連れて。
「Fragment」は、非日常を切り取っているのではない。これもまた、一つの日常として、提示されている。ドラマの不在は、外形的人生そのものであり、内在的自己との対極でもある。
それぞれに自分なりの結論を探して彷徨っている一人一人が、目撃者であり、主人公なのだ。
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- Fragment(2006.10.04)
- 「みんな」ってなんだろ(2006.09.06)
- 「福祉」の心ってなんだろう-映画「石井のおとうさんありがとう」(2006.03.18)
- 映画「ロード・オブ・ウォー」に見る「蝿の王」へのオマージュ(2005.12.23)
- 「LORD OF WAR」最大の死の商人はアメリカ合衆国だ(2005.12.19)










Comments
そぞろ日記 様
独裁制をぶっこわそう!と申します。
『小泉政治に疑問を持つブロガーのリング』について、差し出がましいようですが緊急動議させて頂きました。
掲示板にご意見頂けたら嬉しく思います。
Posted by: 独裁制をぶっこわそう! | October 04, 2006 at 10:32 PM
独裁制をぶっこわそう!さんコメントありがとうございます。
前向きかつ時期に適ったご提案だと思います。掲示板のほうに意見を書いておきました。
Posted by: miyau | October 05, 2006 at 01:33 AM