製作開始の声を聞いてからかなり首を長くして待っていた。楽しみにしていた甲斐がある映画に仕上がっていた。
映画監督は、いい意味でも悪い意味でも「感情」に訴えかけて何かを伝えようとする者が多い。
私にとってアンドリュー・ニコルの作品が他の一般的な映画監督と一線を画しているのは、彼の人間に対する時に皮肉屋で暖かいが、「人間」を観る冷静な眼差しに貫かれている世界観だ。映画を観た人間の心を揺さぶる部分が、「感情」の部分だけではなく「思考を促す」という点が彼の作品を特別なものにしている。
感情を操作する洗脳的なものは心地いい。「感動」という感情の波のぬるま湯に浸ることは、日常から離脱し気晴らしができるからだ。この点もコカインに溺れるヴィタリーについて語るユーリの台詞「気晴らしが依存になるのはどうしてなんだろう」と重なってしまった。
アンドリュー・ニコルの映画を語るとき、人は自分自身について語っている。観た人の語る言葉には、その人間観が如術に現れる。だからアンドリュー・ニコルの映画を語るとき恥ずかしく感じてしまうのはそのせいだろう。他人の映画評についても同様の気恥ずかしさを憶える。しかし、語らずにいられない。聞きたくなってしまう。不思議な魅力を持つ彼の映画に一人でも多くの人に接して欲しいと思ってしまう。
寒風のなか「ロード・オブ・ウォー」を観に行ってきました。「男たちのダイワ」を観るために寒いなか並ばされている人々を横目で見つつオデヲン座の入り口を目指す。
前回の上映時間終了の10分前くらいに劇場に入り、エンドロールが流れるなか場内に。上映終了と共に前から3列目真中に陣取る。そして、ペットボトルのお茶を買い、喫煙所で一服し、携帯の電源を切る。抜かりは無い。どんどん人が増えてきて、9割方席が埋まった時点で、場内が暗転した。
予告編でおなじみの敷き詰められたカラシニコフAK47の向こうに男の後ろ姿。
ニコラス・ケイジの「今世界には5億5千丁の銃がある」の声で映画が始まった。(以下ネタバレを含むので改行する。まだ、映画を観ていない人はお気をつけて)。
そこは、ロシアの銃弾工場。わたしは一つの銃弾になってゆく。そして、出来上がったわたしはパッキングされて港に運ばれ、船に積みこまれた。着いたのはアフリカのとある国、車に積み替えられてさらに奥地に。そして、銃に詰め込まれ、発射された。少年の額めがけて。
平和憲法のもとで、銃の規制も厳しいこの国では、銃によって殺される人は銃が自由に持てる国と比べると遥かに少ない。(年間30人未満 参考:警視庁多発する銃犯罪、年間1万人の大虐殺)
だが、「戦争犠牲者の9割が銃で殺されている。核兵器じゃない、AK47こそ真の大量破壊兵器だ(ユーリ・オルロフ)」の台詞のとおり。冷戦の終結でわたしたちの世界は平和と民主主義を手に入れることができただろうか。
冷戦の終結によっても戦争の惨禍は繰り返されている。むしろ、武器の貿易がより一層「自由」になり、第3世界での虐殺に使われる銃が安く簡単に手に入るようになっている。
映画のなかでも、ユーリが、息子が初めて立ったことよりも、ソビエト連邦の崩壊を告げることに大喜びしゴルバチョフの顔の映るテレビにキスの雨を降らせていたことがそれを暗示している。
映画は、ユーリと弟ヴィタリー妻のエヴァ、インターポールのジャック・バレンタイン、ベテラン武器商人のシメオン・ワイズを中心に話が進んでいく。
自分のやりたいことが何かを見つけられないヴィタリーは兄ユーリに口説かれ戦友の誓いのもと、武器ビジネスに荷担する。
だが、目の前で自分の売った武器で少年たちが殺される日常。「人を殺す道具を売る」この重圧に、ヴィタリーは麻薬に溺れる。
ジャック・バレンタインは、武器密輸の密告を聞きつけ駆けつけた船の上でユーリと出会う。その後、武器輸出禁止条約違反の疑いでユーリを追いつづける。
美しいエヴァ。ユーリは彼女を手に入れるため、ニセの撮影契約を結びホテルを借り切りあの手この手の「演出」で彼女を射止める。
しかし、女優の道は断たれ夫のことを疑いつつも裕福な生活を送る。
シメオンは、冷戦時代を代表する「武器商人」。ユーリと初めてであったときには超大物で「政治的に意味のあるビジネスしかしない」。
しかし冷戦終結を機に「政治は不要」とするユーリと明暗を分ける。
彼は優秀なビジネスマンだ。武器商人として「法の網をかいくぐる様々な方法」に才能を発揮する。最初は、アフガニスタンで薬莢のチャリンチャリンという音がレジスターに聞こえてしまうユーリに失笑したりもする。
憧れの人エヴァと上手くいくことや幸福な家庭生活を喜ぶ気持ちも憶える。
解放奴隷たちのためにアメリカ合衆国が作った国リベリア。そこでは解放奴隷たちがもともと住んでいた部族を支配・差別したことで、憎しみが憎しみを生み、内戦と独裁、暴力の坩堝と化した国。「武器商人が行ったおかげで戦争が長引いて」いる。
(詳しく知りたい場合は、国境無き医師団のレポートを読んでいただきたい)。
ユーリは、リベリアの独裁者と血のダイヤで取引する。「私は人を殺したことは無い。人が死ななければいいと願っている」と言って憚らないユーリ。
リベリアの独裁者は平気で人を殺す人物だ。彼のことを苦手と思うユーリだが、「人の死を屁とも思っていない」点では全く同じなのだ。
目の前で側近が銃で撃ち殺されても「1回でも撃てば中古品だ!」と言うユーリを見て気に入る独裁者とユーリは同じ目をしている。
バレンタインによって武器商人である事実がエヴァに知られてしまう。両親を銃によって殺された妻の悲嘆。下着も服も血で汚れているから着られない、ここにも住めない。お願いだから武器商人をやめて欲しいと懇願され、ユーリは武器ビジネスをやめたかに見えた。
しかし、彼は独裁者の誘いに乗り彼の「天職」である武器ビジネスに戻ってしまう。今度こそ更生して社会に復帰しようとしていたヴィタリーを巻き込んで。
今度は、独裁者の友人の隣国(シェラレオネか?)のゲリラとのビジネスだ。難民キャンプでの虐殺を目にしたヴィタリーは、自分たちが売った武器で虐殺が必ず起こると悟り、今回のビジネスを取りやめるように兄に懇願する。「誓い合った戦友として」。
しかし、ユーリは耳を貸さない。ヴィタリーは良心の重みに耐え切れず、武器を破壊し、手榴弾で自分もろとも兄ユーリを殺そうとする。
寸でのところで、命拾いをしたユーリ。ヴィタリーが死んでも代金の半分を受け取り、ビジネスを終える。その背後で難民キャンプの住人が殺戮されていく。
この映画は、大量の武器を売る者は大量殺戮をする者と表裏一体の共犯者であることを示している。
「人の命」を考える人々、ヴィタリーの遺体に残った銃弾とエヴァの尾行でユーリはバレンタインに捕まる。しかし、ユーリは釈放される。勲章をジャラジャラつけたアメリカ合衆国によって。
そして、国連安全保障理事会の常任理事国、アメリカ合衆国、ロシア、イギリス、フランス、中国5カ国が最大の武器商人であることを告発して終わる。
人の命が羽毛より軽いことをなんとかしようとした人々が失意する。金と権力というビジネス最優先で人の命をなんとも思わない人間が支配する世界。
「変わらない」「守るために武器をもっと!」と考える人も大勢いる。だが、日本とアメリカの銃による死者を考えれば、武器自体を無くすことでしかこの世界を変える術はないように思う。
争わずにいられない人々が「暴力」以外の方法で解決する世界を築ける日が来ることを願ってやまない。
12月19日追記
それと、「優秀で頭の良い人間」であるユーリのような人間が大勢いるのだと思った。自制心に富み、目的を遂行する能力が優れている。ただ、彼らは感情に左右されること無く「効率的」に人を殺すのだ。
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