September 17, 2006

「愛国者は信用できるか」

華氏さんところで、愛国心論争が起こっていたので、「記憶の断片」に置いた「愛国者は信用できるか」についての雑感をアップしてTBしたいと思います。本の帯にあるように三島由紀夫が「愛国心は嫌いだ」と言っていたことなど、知っているようで知らない「右翼」(というよりは純然たる民族主義者?)について認識を新たにした。
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「愛国者は信用できるか」鈴木邦男著 講談社新書

愛国運動40年以上、君が代を5千回以上歌って、靖国神社にも500回も参拝した「愛国者」鈴木邦男が、「愛国心」について深く考察した一冊。

自他ともに認める愛国者の彼が自分の愛国心を本物かどうか、過去の自分の行動が本当に愛国的だったのかどうか、真直ぐに見つめている姿勢が印象的だった。

あとがきにある「傲慢で偏狭で押し付けがましい『愛国者』が急に増えた。『自分こそ愛国者だ』『いや俺のほうこそ愛国者だ』と絶叫し、少しでも考えが違うと『反日だ!』『非国民だ!』と排除する。しかしこうした者たちこそが日本の美徳を踏みにじり、最も『反日的』ではないのか」という疑問は、いわゆるネット街宣車(ネットイナゴとかネットフナムシとも言われる)を見るにつけ、私自身も感じるところではある。

チームセコーの工作員に煽られるイナゴやっている人が、少しでも「愛国心ってなんだ」「自分のやっている行動はなんだ」と考えるきっかけになるような本だ。一人でもいいから読んでくれるといいなぁ(日本語が通じない人も多いけど、なかにはわかる奴もいるんじゃないかなぁ、わかってくれるといいなぁ)。

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November 05, 2005

「秘密のファイル-CIAの対日工作」

「秘密のファイル-CIAの対日工作」春名幹男著(共同通信社刊)

新井薬師駅前の古書店で上下2冊で2000円、ぶあつくてお買い得。

出だしにフリーメイソンの話が出てきたので謀略史観的なのかな?と思いつつ購入決定。
全国42紙で連載、2000年の4月に刊行されたらしい。

とりあえず、上巻を読んだ。謀略本なんてとんでもない、主に膨大なアメリカの極秘を解かれた公文書をもとに、生存者のインタビューもまじえての渾身の裏面の歴史書だった。

上巻は日米開戦前から終戦後、GHQとOSS(後のCIA)の確執から労働組合に対する介入に至るまでである。
やはりというかなんというか、日本人はこのようにして「反共親米」になっていったのかと思う。
ああ、なんということだ。

そういった状況のなかで出来上がった、日本国憲法は奇跡的に人類の未来を標榜する善意に満ち溢れた内容であることに更なる驚きをおぼえる。

日本国憲法公布を前後してCIAはマッカーシズムに先駆けてGHQのリベラルな人々を「容共」として排除しはじめる。日本の再軍備警察予備隊もその流れでつくられた。
その後60年間、アメリカは様々な方法でこの国のリベラル派と共産主義者の力を削ぐべく、工作を続けてきた。反共的な政治家や右翼フィクサー児玉誉士夫、笹川良一を利用するために責任を問わなかったこともアメリカの公文書で裏付けされている。また、後に共産党を除名された元議長野坂参三が二重スパイだったことなども明らかになっている。労働組合「総評」の幹部をアメリカに招いたりラジオ番組を作成したりと、その工作は多岐にわたる。

その結実が現在の日本の状況なのだろう。逆に見るとそいういった工作のなかでアメリカの意思に反し60年間も憲法を維持し、簡単には軍隊を他国に出さなかったのは、日本人の反戦の意識が高かったからではないだろうか。首都の人口が3分の1になるほど自国が焦土と化し、近隣諸国にいまだ癒えない加害の爪あとを残し、しかし、戦争をしてはならないという強い思いが、これほどまでの介入にもかかわらず日本国憲法を維持しつづけてきたのだろう。

戦争の加害に兵士と荷担させられた人が言っていた。「自分の見たことやったことを言えなかった」気持ち。
しかし、戦禍の辛酸を身をもって知る人々が少数になりつつある現在、アメリカによる介入を知ること無くして公正な判断はできないように思う。

本書の丹念な取材と執筆に敬服する。これこそジャーナリズム。

出版されてから時間が経過しているが、いまこの国でおこっていることにつながる日本へのアメリカによる内政干渉の歴史が明らかになっている。
今後もいくつかのテーマに織り交ぜて取り上げたい。

さーこれから下巻を読むのが楽しみだ!


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October 26, 2005

ポストモダンとは何か

「ポストモダンの思想的根拠-9・11と管理社会」岡本裕一郎著(ナカニシヤ出版)

一昨日たまたま入った古書店で購入。

いま起こっている、新自由主義の思想(理論武装)に影響を与えているのではないかと思っているので読んでみた。

本書は「ポストモダンな現代世界を思想において捉えるための最も簡単な入門書である」と前書きにあったので、いまいちポストモダンを理解できない私にはぴったりだろうかと思いつつ読み進める。

著者は、「軽くてシニカルなポストモダン感覚は空気のように自明のものとなっている」という。
この空気のように自明であるというポストモダンはどのような思想なのだろう。

権威への疑義を全ての権威への解体という手法によっておこなうといった印象を持っている。
ポストモダンと適合的なものはネオリベラリズムという。
ロールズという人が唯一の普遍的な原理や教説を放棄し、多様性や共約可能性を全面的に認めた結果として「格差原理」を打ち出し最も不遇な人々の最大の利益になることを要求していたのだ。
ローティーの場合も同様だった。

ところが、ポストモダン思想は多元主義的であったがゆえに「差異」を強調しすぎ、前近代的な自由を戯れただけに終わったように思う。

差異があるという事実が、差異があることだけが当然という論理の迷宮に迷い込んだのではないだろうか。
細切れに解体していくうちに、社会を取り巻く状況から演繹的に導き出される大きな流れや(本書のなかでは「大きな物語」と書かれている)、帰納的に抽出されるべきだったエッセンスを放棄してしまってはいまいか。

最もポストモダンに適合的とされる「ネオリベラリズム」の過ちは、資本主義の競争原理が全く取替えの効かない無謬の前提となってしまっていることではないだろうか。

権威を解体するはずが、ポストモダンの外にあるルールを強固なものにしてしまった結果としてのネオリベラリズムへの帰着とは甚だ皮肉な結果ではないか。
その割には、増税して強力な軍隊を持ちたがり、全てを管理したがる傾向もある。
文中には「ネオリベラリズムは個人の自由と競争を積極的に容認し政府の介入や規制をできるだけ排除しようとする」とあるが、「ごく一部のお金と権力を持った」と個人の前に付け加えるべきではないか。
そして反面「社会秩序や国家の権威を強調し、混乱した『法や道徳』を立て直し強固な共同体を形成しようとする」とある。逆にこれは、「お金と権力に関係ない大多数の人間を」と挿入したくなった。
ネオリベラリズムと言われる思想はなんてことはない、場当たりご都合主義の思想に他ならないように見える。
二重の基準を通り越して一貫性のない二枚舌思想だ。
これを思想として真面目に取り上げる必要があるほどポストモダンの思想はいろんなものを解体してしまったのだろうか。

筆者は、問題提起として「ポストモダンは新しい段階に入った」と書いているが、脱構築して解体してしまっただけで、解体の先にある構築は見えてこない。
ポストモダンの思想家の中からそれがまだ現れていないだけのだろうか。
全ての近代思想を廃棄処分にして、夢の島に送ったはずのポストモダンは人間の実存を文末にある「脱人間」へと結びつくのだろうか。近代の破壊だけが解答ではないはずだ。
資本主義的であることを自明の前提としてしまったのに、人間性は放逐され姥捨て山に捨てられるのがポストモダンなのであろうか。

ポストモダンを再構築する必要があるように思えた。
まだまだ、本書を理解しきれない。
ポストモダンの先祖ともいうべきニヒリズムの巨人ニーチェ。
物語やアニメで知られるムーミンのなかに「じゃこうねずみ」がいる。
ハンモックに寝そべって「むだじゃ、むだじゃ」というアレである。
単細胞人間の私には、ニヒリストはアレに見えてしまう。作者トーベ・ヤンソンに確認を取ったわけではないが、ニヒリズムに対する風刺だったのではないかと考えている。

高校時代にニーチェを読んだときに、言っていることが全く共感できないだけでなく、「じゃこうねずみ」みたいな考え方だと思った。おそらく私のような凡人は高尚な思想とかにはあまり縁がないのだろう。

思想をこねくりまわすより、明確なあるべき方向を立て、試行錯誤を繰り返し壊れてしまった思想を歴史に学び再構築すべきときが来ているのだろうかと思った。

ポストモダン的空気の読めない近代的思想の私からポストモダニスト(?)の方へ
人の思考の筋道としての「思想」の獲得なきままの「なんでもあり」は混乱をきたすから「なんでもあり」のための管理強化なのですかね。矛盾しているように思いますよ。多少は混乱していても安心・安全でなくとも大らかに人生を楽しむ人間としての生き方のほうが魅力的に見えてしまう。
一部の人間のための思想なんて、了見が狭いなってね(笑)。

筆者注)これは入門書を読んで混乱しつつポストモダンを理解しようとし挫折した近代的思考しかできない人間の思考的遊戯である。ポストモダンをもっと勉強するかどうかは、古書店でアントニオネグりの「帝国」でも見つけて読んでから考えよう。

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October 11, 2005

拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる

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「拒否できない日本-アメリカの日本改造が進んでいる」関岡英之著(文春新書刊)

10月10日、以前から詠みたいと思っていた本書を店頭で購入した。「なぜ読めない」と話題になっていた本書を購入する際は特に、「お金を儲けさせるのは、儲けさせたい行動をとっているところ」にしたかったので、店頭に置いているような本屋で買いたいとも思っていた。アマゾンで購入する気が起きなかったことは言うまでもない。

著者の関岡英之さんは、東京銀行(現東京三菱銀行)出身で、退職後に建築家をめざしている最中に中国の北京で開催された国際建築家連盟(UIA)の世界大会に1学生として出席したときに、世界各国の建築家の資格制度を国際的に統一する国際協定が採択されたことから、アメリカによって「国際的ルール」をアメリカの制度に準拠した形でさまざまな知的専門職の国家資格を統一させようという戦略が推し進められていることに直面したことをきっかけとして、今話題になっている「年次改革要望書」や「外国貿易障壁報告書」へと連なる、アメリカによる経済支配、とくに日本に対する凄まじい内政干渉の実態に連なっていく。

あとがきにあるように、わたしも今の日本はどこかが異常であると思う。

自分たちの国をどうするか、自分の頭で自律的に考えようとする意欲を衰えさせようとする病がどこかで深く潜行している。私が偶然、アメリカ政府の「年次改革要望書」なるものの存在を知ったとき、それが病巣のひとつだということはすぐにはわからなかった。
だが、この病は定例的な外交交渉や、日常的なビジネス折衝という一見正常な容態をとりながら、わたしたちの祖国を徐々に衰滅に向かって蝕んでいるということに、私はほどなくして気づかされた。(中略)
アメリカがこれまで日本にしてきたことは、一貫してアメリカの選挙民や圧力団体にとっての利益に拡大ということに尽きる。そのこと自体に文句を言ってみてもはじまらない。自国の納税者の利益を最大化するために知恵を絞るのはその国の政府の当然の責務である。アメリカ政府は当たり前のことをしているに過ぎないのだ。
問題は、アメリカの要求に従ってきた結果どうなったのか、その利害得失を、自国の国益に照らしてきちんと検証するシステムが日本にはないことだ。そしてそれ以上に問題なのは、もし私たち日本人にはアメリカの要求に従う以外に選択肢が無いならば、なぜそのような構造になっているのか、という点である。私たち国民全体が、その構造に向き合わざるを得ない時期がいままさに到来しているのではないか。

そして、最も留意すべき点は、この本の内容は「すべてアメリカ政府が公文書で発表していること」だということだ。

今回私が使った資料はすべてインターネットの公式サイトで公開されている公式文書や、国立国会図書館などで一般市民でも閲覧可能なものである。

公にされない軍事部門は、語らずもがなということだろう。

また、こうも述べている。

アメリカを批判すると、「それは日本の自己責任をアメリカのせいにする陰謀史観だ」という人がすぐに現れる。だがその指摘にどんな積極的な意味があるだろう。「それは陰謀史観だ」というレッテルを貼って思考を停止してしまう。そしてパンやサーカスに注意をそらし、現実に起きていることへの国民の関心を封印しようとする。

これは、間違って当選した最年少国会議員やお菓子な国会議員のおもしろおかしい報道のことをさしているのだろう。

さあ、思考停止している場合ではない。「年次改革要望書」には実にさまざまなテーマが網羅されている。本書で取り上げているのもごく一部だ。まだまだ、考えるべきこと、解決しなければならないことがたくさんある。

あえて、この言葉を使おう。全ての「愛国者」よゴー宣なんか捨ててこの本でも読みやがりください。

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August 21, 2004

爆笑「反社会学入門」

 「イマドキの若いもんは!」そんな言葉を口にしたことはありませんか?「少年犯罪は激増している」と聞くとそうだよなぁ変な事件も多いし…と思ってしまいませんか?マスメディアを使って流布される様々な「虚偽の風説」には
、統計的な数字がもっともらしくくっついていたりするものです。「それってホントなの?「なんだか胡散臭くない?」と思う方はいませんか?
 そんな反抗期の大人のみなさまにオススメの本があります。論理的にマスメディアでおなじみの「社会学的手法」を一刀両断する「反社会学講座(著者:パオロ・マッツァリーノ出版社:イーストプレス)」です。今(2004年7月日現在大学生協調べ)大学生が最も買って読んでいる本。世間を挑発する謎の知識人パオロ・マッツァリーノの毒気たっぷりの文章で、暑い夏をクールに乗り切ってください。

本書は、多くの常識人を激怒させてきたいわく付きのサイト『スタンダード反社会学講座』(http://mazzan.at.infoseek.co.jp/)の書籍化です。特徴はずばりメディア・リテラシーの基本が腹を抱えて笑っているうちに身につくこと。
メディア・リテラシーとは、「情報が流通する媒体(メディア)を使いこなす能力。メディアの特性や利用方法を理解し、適切な手段で自分の考えを他者に伝達し、あるいは、メディアを流れる情報を取捨選択して活用する能力のこと」で、「民主主義の前提」といわれる。
昨今の改憲論議も、小泉人気も「なんだかマスメディアがおかしいぞ」という状況の積み重ねで今日に至っている。
「戦後最もキレやすかった少年が決定しました。グランプリは昭和三五年の十七歳、つまり昭和一八年生まれの皆さんです!」。統計的な事実を駆使しつつ、閉塞感のある日本社会の状況を、打開する柔軟な考え方が、楽しく刺激的に身につく本書。
「常識人」と自負する方には刺激が強すぎてオススメできませんが、ブラックユーモアがお好きな方は是非ご一読ください。        (みやう?)


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