July 17, 2007

都会の片隅で一人の男が餓死した

久しぶりのブログの内容が、悲惨な内容になってしまったことをお詫びすると同時に、現実を直視する勇気と気力の無い方は、あまりにも惨い話なので、読まないでいただきたい。


これは、私自身の悔恨と復讐の誓いである。


一昨日、友人から久しぶりに電話をもらった。
久しぶりの電話というものは嬉しいもので、私の心は少し弾んでいた。

ところが、電話の主に告げられたのは、悔やんでも悔やみきれない事実だった。

この食べ物が捨てられる東京の空の下で、Sが鬱病が元で餓死したという。

格差社会、という一言で片付けられない。

彼の命は、ある組織内部の政治によって磨り潰されたのだから。

私自身も、ある組織内部の政治的ドロドロと闘っているさなかでもあり、同様に精神的な虐待を受け続けていた。
それがもとで、身体を壊し、現在も通院中である。まったく他人ごとじゃない。死んでしまったのは私だったかもしれないのだ。
Sの死の知らせにまる2日間、酷い抑鬱状態になった。そして、今夜は眠れない(苦笑)。

Sとは、8年前、新人研修の場で初めて顔を合わせた。早くに両親を亡くし天涯孤独の身。
型破りなところはあるが、思いやりもあり変にナイーブなところもある。
意地っ張りで口も悪いが、論理的で正直な男だった。

何よりもSは、その新しい職場に失くした家庭を重ねて見て、職場のことを愛していた。

私の職場の地域と隣接したSの職場で、刑事事件にも発展しかねない問題が明らかになり、組織内で醜い政治が繰り広げられ、事実と異なる嘘が乱れ飛んでいるということが耳に入るようになったのは、私が組織内部の政治的な罠に嵌められる約1年前のことだった。

Sとは、それから連絡が取れなくなった。

後に今回電話をもらった友人からの話で、鬱病だということを耳にし、気にしつつも、時々電話をかけてみることくらいしか、私にはできなかった。

気にかけているうちに、時間だけが過ぎ、今度は私のほうが、組織内の政治に巻き込まれ、不当な懲戒解雇を受けるという事態になり、時々かける電話の間隔は、悔やまれるほど長いものになってしまった。

虫唾の走る、政治的な工作の数々に対処するため、自ずと私自身の問題を解決する方法も限られ、一つ一つ、相手の先を読んで、霍乱情報を流したり、虚偽の情報を収集したり、情報をコントロールすることに私は忙殺されながら、相手の逃げ場を詰めていき、とりあえず、懲戒解雇を撤回させ、現職に復帰した。

いまだに、自己保身のために責任者どもの垂れ流す言い訳を、弁護士を介して、と別口からの2方向から詰めている途上だ。

思考能力が無いことを大上段に振りかざし、「実態を何も知りません」と、自分で判断できない無能を、無責任を絵に描いたように不明を恥じない、愚劣な輩が多すぎることには辟易するが、私が現場から逃げないのは、正しいと思うことはやりとおさなければ気がすまない性分によるところが大きい。

そして、友人や家族に恵まれて、ついでに主治医にも恵まれたおかげで、意地をはり続けることができることも。

だが、Sは意地を張り続けて、病に倒れ、独り餓死という悲惨な最期を遂げた。
彼を最初に発見したのは、彼を見捨てた彼の元上司だった。

更にSの死を、寄生虫どもが血塗れた口を拭いながら、「最期を看取った」と美しく化粧して、記憶の彼方に隠蔽しようとしている。
刑事事件になりかねない事件を起こし、それを隠蔽した組織官僚どもの「嘘つき鏡」の中に閉じ込められようとしている。

私は生きて闘い。その組織が自ら事実を明らかにしない場合にはその事実を公表する。

私の涙を見たものは心せよ。それは憤怒の涙なのだから。

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